2012年02月25日

叔父さんの自転車

一吹雪春の隣となりにけり 前田普羅

国道238号線芭露村。
網走行きのバス停横の雑貨屋に自転車を止め、わたしはサイダーを片手にその夜泊まる予定の中湧別にあった国鉄の寮に赤電話を掛けました。
「午後7時には帰るので、それまでには来て下さいね」
予約のときに管理人のおばさんがそう言っていたのを思い出しました。サロマ湖に夕日が沈んでからすでに1時間、まもなく7時になろうとしていました。
部屋は2階の1号室、食事は食堂のテーブルに用意してあるからという返事を聞き、わたしは再び自転車に乗って中湧別へ。
少しでも早く着きたいと、国道から離れて山側の農道を走ったのが間違いの元でした。途中から砂利道になり、街灯もまばらな暗い道を走っていると突然後ろから黒っぽい大型犬(だと思う)が2頭、吠えながら追いかけてきました。
やばいですよ、襲われて犬死だけはしたくないと必死で自転車をこぎ、花見やスキー遠足で来たことのある「五鹿山」の麓辺りまで来たとき、今度は自転車のチェーンがバーンという音と共に切れてしまいました。
猛スピードにつられて走って来た犬たちも突然自転車が停止したのに驚いたのか、10メートルほど手前で急ブレーキを掛けて止まり、しばらくの間わたしの様子を窺うようにしていましたが、やがて「な〜んだつまんないの」といった雰囲気で引き返して行きました。難は逃れたものの街はまだ2キロ先です。チェーンの切れた自転車って、坂道を下るのでなければただの荷車ですから、結局寮に辿り着いたのは9時を過ぎていました。

北高1年生の夏休み、小さな自転車屋を営んでいた叔父がどこからか調達して修理してくれたセコハンの自転車で、1週間約600キロの旅をしたときのエピソードです。
その叔父が、身体の丈夫でない叔母とまだ小さかった3人の従妹たちを残して失踪してから30年。
先日ようやく家族の元に帰ってきました、骨になって。

わが○○家にはタブーがいくつもあり、暗い家でした。親しい友人にも家族のことはあまり話をしたことがありません。
その反動なのか、このコラムを連載するにあたり目標としたのは敬愛する柳家小三治師。彼のマクラのような軽妙で洒脱な話を書きたいと思っていましたが、どうやら失敗したようです。
でも、自由に書く機会を与えてもらったお蔭で、胸の中に隠れていたことや、今まで口に出せなかったこと、記憶の彼方で断片だけになっていたことを少しずつ繋ぎ合わせることができたような気がします。
澤田さんをはじめとして、野口さん、フィットでイラストを描いてくれたomiさんたち北日本広告社の皆さんにはたいへんお世話になりました。
そしてなにより、長い間読んでくださった皆さん、ありがとうございました。

侘助拝
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posted by 侘助 at 05:00 | 俳人タクシードライバー・侘助が行く

2012年02月18日

優しい運転手

寒晴の逃げも隠れもできぬ空 黛まどか

比べるとなんでも我慢できます。
朝昼晩毎日3回雪かきをしなければならなくとも、最低気温が毎日−15℃を下回っても、猛烈な吹雪で排気が逆流してストーブが不完全燃焼を起し、部屋中に一酸化炭素が充満して危機一髪の状態になっても。
大震災と原発事故に比べたら我慢できます。
ただ、保安院と安全委員会のトップのだらしなさや、鼻づまりの経産相と東電の出来レースのようなケンカのポーズには腹が立ちますけど。

ショーファーズ・グラブ
タクシー運転手の半数以上が着けている白い手袋。
アレがどうしても煩わしくて、運転して内に無意識に脱いで助手席に放ってあることがよくあります。
必ず着けなければという決まりはないのですが、運転手のユニフォームの一部になっているのは、欧米のお金持ちが雇うお抱え運転手「ショーファー」の出で立ちが由来でしょうね。
鍔のある帽子にプレスのきいた旧制中学の制服のようなスーツと黒革靴。そして白い手袋が定番です。
お抱え運転手で思い出すのが「Driving Miss Daisy」。
意地っ張りな元教師でユダヤ系の老婦人(ジェシカ・タンディ)と、謹厳実直で優しい黒人運転手(モーガン・フリーマン)の20年に亘る交流を、ユーモラスな会話をちりばめながら、当時アメリカ南部が抱えていた根深い人種差別に抵抗する秀作でした。
二人の演技も感動的でしたが、わたしが注目したのは脇役。
どこか頼りないけれど、老婦人への深い愛情が胸を打つ息子(ダン・エイクロイド)と、アメリカ文化を象徴するような何とも美しい、キャディラック・フリートウッド60スペシャルですね。

わたしもハンドルを手放すその日まで、あの運転手ホークのように正直で心優しい運転手でありたいと思いました。

さて、この土曜コラムも来週が最後になります。
有終の美が飾れるかどうか・・・不安だなあ。

寒月や深きいたわり身に沁みて 侘助
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2012年02月11日

寛容と狭量

哮(たけ)るもの胸中に飼う冬木立 岸本マチ子

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路肩も20メートル先も見えないほどの吹雪では、せっかくの冬まつりも思うように楽しめませんね。

さて、わたしは昔から争いを好まず外面(そとづら)が良いので、家族以外からは人格円満と見られがちだったのですが、とてもわがままで狭量な人間です。それが齢をとるにつれて気力も体力も減退してくると、それと並行するように寛容さが身についてきたように感じています。

たとえば音楽でいうと、わたしはJ−POPというジャンルの音楽がどうしても好きになれず、ラジオから流れてくるとスィッチを切ってしまいます。
特に、「ミスチル」のヒャラヒャラした歌詞の聞き取れない声や、「ゆず」の耳障りな高音を聴えてくると脇の下にじんわりと冷汗をかくほど嫌悪感を覚えていました。
それがこの頃は積極的に聴くことはないけれど、まあ奴らも一所懸命歌っているんだからと赦せるようになり、ラジオを消すこともなくなりました。
寛容になりましたね。

M子の作る食事は「味がうすい」。
彼女はわたしの健康を思い「薄味」にしていると言うのですが、長い間セブンイレブンの弁当や総菜の味に慣れ親しんだ舌には全く物足りません。
それで、糖尿病でもないのに糖尿食は食べたくないだの、「薄味」と「味がうすい」のとは意味が違うと思う、だのと食事の度に悪態をついてしまいます。
そして彼女の料理は盛りが多すぎる。
わたしは器に半分ほどの量を盛り付けてあるが好みなのですが、今朝もカレーうどんが丼にナミナミとつがれていることに文句を言い、「ああ、面倒くさい男だ」と言われてしまいました。


齢を重ねるごとに「寛容」になってきたと思うのですが、どうして身近な人にもそれをあらわすことができないのか、いま戸惑っています。
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